反広告社をダサいと感じる理由。

【すべての広告を焼燬する】悪戯広告結社『反広告社』、その愛憎と信念を聴く

反広告社:はい。ルールというルールはありません。ただ、私共の方針に合致しない広告の場合、理由を説明し掲載を見送る場合があります。例えば実務家に少しでも負けてるコピー、嘘が入ったコピー、笑えないコピー、今この社会に出す必要がないコピー、私たちが言う必要のないコピー等です。改善余地があると考えた時は、私も一緒になって代案を制作します。伊勢丹の「恋が着せ、愛が脱がせる」やLUMINEの「悪い女ほど、清楚な服が、よく似合う」、JR東日本の「愛に雪、恋を白」に勝てるコピーとは何か、四六時中考えています。

なるほど、このグループは「コピー」を単なる「言葉」としてしか考えていないから、出てくる作品があんなにも雑なデザインなのか。

反広告社のポスターは、とにかくフォントの選び方が適当(っていうか何も考えてないっぽく見える)だったり、ただ単に画像の上に文字をベターと貼り付けただけで、文字ツメやベースラインの調整もされてないものが多い。

デザインのセンスがないとか以前に、なにもやってない。つまり手抜き。

“一番「面白い言葉」や「好い言葉」思いついた奴が勝ち”ってのは、それ単なる大喜利だよ。

ネットで拾った画像に文字貼り付ければ「コピー」になると考えているのなら、その考えがダサイ。

反広告社:弊社が無断で作り、発表している広告を、ターゲットが自社広告として使いはじめた時です。そうなってはじめて、既存の広告会社を打破したと言えると考えます。弊社の活動が終わるとしたら、そのときです。

ネタにはなるだろうけど、ネタ以上のものにはなりえないだろうし、これが既存広告の脅威になるとも思えないし、本職からしたら「うん、そういう遊びは、まともにデザインできるようになってからやろうな?」って言われて終わると思う。

今の広告業界や広告そのものに疑問があったり、反発を感じるってのはわかるけど、”技術”を疎かに、軽視しているって所がダサイ。